百点満点 2008-10-01
毎年、自分の誕生日前後になると、かならずあいつのコトを思い出した。
思い出さずにいられなかった。
だって、翌日が誕生日だから。

今も年に幾度か、あいつの夢をみる。
そのたびに、かつてあいつに燃やした想いが、埋み火のように煽られていた。

未練がなかったといえば、大嘘になる。
あいつの先輩に頼り、連絡をとろうとして未遂に終わったことは、一度二度じゃない。

そうして今年もまた、あいつを思い出す季節を迎えるはずだった。

はず、だった。

だけど今、自分の胸に大切に抱く面影は、あいつじゃない。
この間、あいつの夢をみたけど、少しも心に感じることがない。

ああ今度こそ、未練を断ち、あいつ以上に愛せるのか。
あいつだけと信じた「愛」という言葉を語れるのか。
あいつとは何もかも真逆の彼に。
あいつのような野心的な夢も強烈な自己主張もなく、
都会の人波に弄ばれ、疲れた体を、何かに引きずられるように生きている彼に。

だけど彼には、あいつにはない、安らぎと和みと心地よさがある。
たまにしか会えない、しかも一瞬の間に交わす、わずかな会話と視線の中に。

それだけで十分、あいつ以上だよ。
好きになることが、こんなにも楽で幸せなことだったなんて。
気づかせてもらっただけで百点満点だよ。

ミズヒキ:9/23に北鎌倉・円覚寺で撮影。
ボケ部分が数珠みたいで面白い。
ミズヒキ

半径2km以内 2008-09-26
半径2km以内に、確実に君がいると分かっていながら、
週に一度も、顔を見れない。

この、窮屈にひしめくビルと高架橋の狭間を
君は今日も、赤バイクで走り回っているんだろう、と
職場のあるビル5階の大窓から、
不規則な路地裏をなぞり、君の姿を探した。

だから

かなうものなら君を、
そう、たとえば、
自分が好きな、みなみらいの夕景を眺める大さん橋に
半径2km以内の、日々の雑踏から、
連れ出してみたい。

そんなことばかり思っている、ずっと。

07/05/04撮影:みなとみらい夕景
みなとみらい

サムネイルは明月院の紫陽花。
6/21撮影。SIGMA17-70mm_F2.8-4.5DC_MACROの試写をかねて。
 ↓
明月院の紫陽花

ああ本当に、ヤバい状況なんだと感じている。
一々自分自身に制御かけている。
そのこと自体、危険水域に踏み入れている証だろうに。

某有名人と同姓同名の君のことだよ。
漢字は違ったかもしれないけど。
全くヨミが同じだったから、名札一目みただけで覚えたよ。
複数分の一の君なのにねえ。
何で君の笑顔だけを楽しみにするようになったんかねえwww

自爆装置の導火線を踏まないよう、滑稽なほど自分の中で自制かけている。
あらゆる過去の事象が、車止めとなって暴走を食い止めている。
誇大妄想の果ての自爆装置だけは踏むまいと、すさまじく冷めた現実を唱えている。
あいつのコトで、だいぶ学習したつもりだが。
こいつのコトだから、一箇所崩れ始めたら大決壊なんだろうな。
……いやいや、それだけはならん。

ああ本当に、ダメだこいつは。
年下男の曇りなき笑顔に弱い。
どうせまた、咲いて散る火花だ。自重シル

あんた 2007-05-24
月と桜

春に桜が咲くたびに。
丸い月が昇るたびに。
車窓から雪を眺めるたびに。

自分の誕生日がくるたびに。

あんたを思い出すのだから、忘れろという方が難しい。

桜が咲く限り。
月が昇る限り。
雪が降る限り。
誕生日の翌日がめぐる限り。
あんたの記憶を消すことはできない。

だから、あきらめた。
観念した。
必死に忘れようとしたが、無駄な抵抗だと悟った。

他の男を好きになろうとしても、結局その男の向こうに、いつでもあんたを見ていた。
誰もあんたの代わりになりえなかった。
自分の弱さと、一番醜く見苦しかった姿と。この自分の最低っぷりを、見届けたのはあんただけだから。

桜が好きで、月が好きで。
雪降る夜の電車に乗ったとき、あんたは「月下独酌」の詩を読んでくれたね。
あの時すでに、あんたのこと、愛してたんだよ。
思えばあの瞬間が、一番幸せだった。
あとはもう、あんたに、みっともない自分を見せてばかりで。

今年は桜を見に、岩手に帰った。
自分の中の何を確かめたかったのか。
岩手に住んでいて、あんたの帰省を待ち焦がれていた頃の、切なさが懐かしくなったのか。

結論。
あんたを消すの、あきらめた。
忘れることだけが最善とはかぎらない。
あんたは「愛しい男」だけじゃなく、自分の心を構成する一部だ。

何もかも冷めて、乾ききった自分が、今も唯一涙を流せるのは、あんたを思い出す時だ。
愛しさと後悔と。
埋み火だ。
少し風を煽れば、変わらぬ切なさがよみがえる。
鬼畜に向かおうとする魂が、人の世にとどまり、潤いを取り戻す。

大丈夫、あんたには何も求めない。
自分は、自分が“生きるため”に、あんたへの愛を抱き続ける。
それだけのことだ。

……でも死ぬまでに一度くらい会いたいかなw

年取って死ぬ時には、あんたの夢を見ているときに、延命装置を切って欲しい。
そうすれば永遠に、あんたの夢の中にいる。

時々はこうして、報われぬ愛を書き殴り、人並みの心を思い出そうか。
どうせ届かぬ言葉なら、何を書いても文句はあるまいw

また今年も、10月17日が巡ってきた。
永遠に忘れまじ。
八年前の同じ日、それまでの『自己』が死んだ日。

以前の日記かBLOGにも書いたと思うが、あの頃に殴り書いた文。
今日が巡り来るたび、幾度でも思い返す。
崩れ落ちた『自己』の廃墟から這いずり出てきた。
尾崎匠という、現在に至る“自己”の産声だ。

 今迄生きてきて、信じてきたものを、木っ端微塵に打ち砕かれた。
 あの日あの夜、人生最大の屈辱と羞恥と悔恨に苛まれ
 自ら築いた自己のの戒律をねじ曲げてでも
 否定してはならぬ最後の牙城を否定させられた。
 その瞬間、当たり前に信じ従ってきたものが
 自己の中で崩れ落ちた。
  (中略)
 誰もが皆、自分自身の為の言葉しか語らない。
 信じた為に、自らの手で自らの戒律を破ってしまった。
 人間は己の罪を、最も身近な弱い場所に押し付ける。
 その為の詭弁が「正義」なのだと教えられた気がする。


信じすぎ綺麗すぎた自分との決別だった。
その後は御覧のとおり。
冷めた目で薄笑い、口汚く言葉を弄ぶ。

それでも。

かつて無菌状態の魂に酔い、甘ったるい自虐に安住した、森田童子の歌ばりに滑稽な自分よりは、はるかに居心地がいい。
純粋を守るより、汚れる方が楽だとは、よく言ったものだ。

おかげで、創作小説の登場人物まで性悪になっちまったけど。
羽柴王四郎とか、イシュタル・ラキシュとかw

これも昨日と同じ、9/23に撮ったヒガンバナ。
日陰の緑に浮かぶ、冷たい血色の華に、初めて見た時から惹かれている。
ヒガンバナ

生来、嘘が苦手である。
先の面接試験でも、どう嘘をつかず好印象を与えられるか、その点において脳ミソ絞った。
当然、お世辞やゴマスリなどできない。
嫌なものを好きと言った所で、顔が正直だから嘘だとバレる。
オトナになってからは、ちと賢くなって、嫌なものは無言で薄笑いという裏技を覚えた。
だから、尾崎の褒め言葉は本心だと思って安心するがいい。
過度に褒め讃えるのは、尾崎の羨望とヤケクソだと思えばよいw

なぐさめの言葉も苦手だ。
中学時代よく女子グループ内で、くだらんことでモメて。
誰かが泣いて皆でなぐさめあって、なんて場面がよくあった。
自分は輪のかたすみで、ぎこちない片言をつぶやくだけ。
何を言えばいいというんだ。
泣いている奴を、哀れとも健気とも思っていない自分が。
文字通りの「下手ななぐさめ」など、できやしなかった。
周りに追従し、一緒に嘘泣きする自分こそ、哀れで惨めだった。

他人の痛みなど、誰も分かるはずがない。
他人は他人、自分じゃない。
どんな言葉も、自分以外の他人を、真になぐさめることはできない。
ただ黙って、自分の知る限りの「痛み」を思い出し、他人の痛みを見つめてやるだけだ。

自分は、嘘がつけない。
だから「なぐさめ」という嘘も言わない。
それでも自分に、「なぐさめ」という嘘を求めるなら。
自分がそちこちで書いている、口汚く稚拙な文章から、欲しい嘘を持ち帰ればいい。

持ち帰るっつーても著作権は守ってや
尾崎は、著作権にウルサイ職場にいるからなー

とわいえ、さすがに三十路を越えてからは、顔で笑って腹で嘲笑うという術も覚えたが。
なお悪いってかw

二十代の頃、親から、
「お前は綺麗すぎる。少しは汚れることを覚えないと、お前が生きていける場所はない」
とまで言われた自分が、である。
今では汚れることを覚えて、綺麗事を嘲笑ってるから、世の中わからんものである(爆笑

などと今夜も、冷めた心でつぶやき、笑う。

9/23に撮った。
ヒガンバナ


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追記
新しいモニタが昨日届きますた(^^
でかくてキレイですげーいい感じです。
早くパソコン本体も買い換えたいでつ。

ヒガンバナ 2006-09-29
9/16に北鎌倉で撮ったヒガンバナ。
植生が変わったのか。
明月院では以前ほどヒガンバナの姿が見えなかった

ヒガンバナ

ヒガンバナといえば、やはり飛鳥だ。
それ以外の場所で見るヒガンバナは、どうもピンとこない。
明日香村の畦の土手に、点々と花開く紅色が、自分にとってのヒガンバナなのだ。